shume exhibition//artist「shume」の作品世界
--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2013/05/27 (Mon) 七五三(しめ)さん

表紙 山口華楊


保育園児だった頃、
「しめちゃん」と呼ばれていた。

「あたしの名前、変わってるで」
と親に訴えると、父がおもむろに
「茂山さんもしめさんやで」
「七五三てかいてしめて読むねん」
母もあいづちを打つ。
「しげやまさんて誰?」
「狂言する人」
「きょうげん??」
保育園児はいまひとつ腑に落ちないまま
話はいつもそこで終わる。

父は、七五三(しめ)さん、後の千作さんが大好きだった。
狂言の師匠であり、あそび友達でもあり。

昭和四十八年一月発行の「きょうと」に
父が寄せた文章。


 わらい初め
  
 -略
 
 初春といえば、忘れられないのは大蔵流茂山家で、毎年お多賀さんへ
 お正月三日に奉納される狂言がある。もう数年前になるが、そのころは
 今の千五郎師(千作襲名前のお名前)も、七五三先生であった。その
 マナデシ? の私に、「そなたも来年は還暦でござるによって福の神のシテ
 を舞わしめ」 「ハァ其貧乏神にはいかう縁が深うござりまするが、一向に
 福の神の寵を得ませぬ。平にゆるさせられい」 「いいやなりませぬ。それな
 らばこそでござる。キットつとめさせられい」 「ハァ」引クというようなことで、
 こわものながら、シテをつとめることになった。
  お正月早々、神のおまえで、私自身が福の神になり、そしてもろもろの
 善男善女に福を授ける・・・・いと心地よい役柄である。(演技のまずさを
 棚に上げれば)さて

このあと、話しはいざお正月の舞台へ向けての大奮闘談へと続き、
シテが幕内で先ず一声笑い、一の松、三の松で最も大きく笑うのであるが
「これがなかなか笑えるものではない。稽古をつける七五三先生の腹の底
にひびき渡る大笑いに圧倒されて私はフェ、フェ、フェ、・・・・いまさらうらめし
い気持ちになるのである」

とまれ、苦しいだけでもなかったようで、神様の役でなみなみとある大杯を
ぐっとかたむけるところなど「まことに気色がよろしい」とある。
しかし小舞にはまたてこずったようで、稽古場をでて祇園のいきつけのお茶
屋さんの「おけつと申されるお姐さんまで手を取り足をとっての・・・・さわぎま
であって晴れの日を迎えたのである」なにやら楽しそうである。

当日は後見に七五三先生、人形の(田中弥)弥一ちゃん、三樹山添さん
等、介添役に先斗町の(増田)おたかはん、いづれも大根よりうまいかぶら
会(増田に集っては七五三先生から狂言を習う会の名前)のめんめん。
「賑々しきことおびただしい」

  ともかく、きびしい湖北の寒さも、感じないどころか、汗を流して(但し冷
 たい方)の熱演である。この笑えぬ繁栄の世に、ドラマの中の笑いとはいえ
 月読命(つきよみのみこと)のお前に、大笑いぞめをいたいたのである。海、
 山よりも重い大役果して身も心も軽々と・・・・あとは師の七五三さんを先
 頭に、わいわいがやがやと、尾上のあたりに、鴨を尋ねおささをたぶろうて、
 めでたくめでたく楽しゆうなりにけり。

銀閣寺白沙村荘でひらかれた「沢宏靭を偲ぶ会」で千作さんが父のために
狂言を演じてくださってから三十年。 

           
             五月二十三日  茂山千作さん ご逝去

                           合掌










スポンサーサイト

未分類 | trackback(0) | comment(2) |


| TOP | next >>

プロフィール

しめ

Author:しめ
沢 朱女 (さわ しゅめ)
京都生まれ 大津在住
96年より制作活動。
雑誌、広告、絵本等の仕事を経て
現在は水彩、アクリル、クレパス画等を制作。
chezshume(a)dream.com
※(a)を@にかえてメールアドレス欄に入力してください。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。